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雷と大正浪漫的美少女に
まだ梅雨前だというのに、もう蒸し暑い日が増えてきました。あれ?お疲れですか?顔色が良くないですね。もしかすると暑さのせいだけでなく貧血気味かもしれませんね。今日は血液を元気にするテンダーを淹れましょう。お茶ができるまでの間、テンダーに入っているネトルのお話でもお付き合いください。
ネトルはヨーロッパから西アジア、北アメリカが原産のイラクサ科イラクサ属の多年草で、シソに似たギザギザの葉をつけ、高さは1m近くまで伸びます。世界中どこでも、山裾、空き地、住宅地、ゴミ捨て場、河原、農道、墓地、薄暗い藪、どこにでも生えている野草です。
ネトル(nettle)という単語は古語(アングロサクソン語)の「針」が由来ですが、現在の英語では“厄介なこと”“イラっとさせる”の意味で使われます。 北欧神話では雷神に捧げられるハーブと位置付けられていて、稲妻を起こしたり鎮めたりする「雷神」のシンボルです。今でもネトルのことを 「雷神草」と呼び「稲妻もトゲを嫌ってネトルの藪には落ちない」という言い伝えから、ネトルを雷除けのお守りにする風習が残っています。
学名Urtica dioicaの属名urticaは、ラテン語で“焼けるような”“痛い”“刺”を意味します。葉と茎に生えている透明で産毛のようなトゲは、構造が皮下注射の針に似ていて、中に炎症を引き起こすヒスタミン、アセチルコリン、セロトニンや蟻酸などを含んでいます。うっかり触れてしまうとチクチクした痛みだけでなく、赤く腫れたり水疱ができてしまうこともあります。これが”英語で発疹”をネトル ラッシュnettle rashと呼ぶ所以です。山の動物や散歩の犬も被害には要注意!山菜採りの人間は厚手の革手袋、長袖長ズボンが必須です。
ネトルのトゲは細く透明なのが厄介です。まず毛抜きを使うのは厳禁!微細な針が切れて皮下に残ってしまいます。最適なのは除毛クリームか除毛ワックス(ない場合は木工用ボンドで代用可)。刺さった所に塗り乾いたらトゲごと剥がします。次のお勧めはセロテープがガムテープ。優しく患部に押し当てトゲを除去します。チクチク感がなくなるまで繰り返し、あとは石鹸を使ってぬるま湯でよく洗浄してください。『かぶれた患部に茎の汁を絞って擦り付ける』というワイルドな方法はよほど手慣れた方以外にお勧めできません。茎の汁に解毒成分が含まれているので正解ですがリスクが高すぎます。乾いたら抗生物質か抗菌剤を塗り冷やしておきます。痒みが続くようなら重曹水またはアンモニア水で毒を中和、それでも辛い場合はとげぬき地蔵ではなくお近くのクリニックへ!
学名の種小名dioicaはギリシャ語で「二つの家」を意味する造語で、5月半ばからつける花はおしべだけの雄花とめしべだけの雌花(雌蕊だけの花)が別々であることを指しています。
ネトルにはタンパク質、ミネラル類、クロロフィル、βカロテン、ビタミン類、 食物繊維などが栄養たっぷりなので春野菜として食べられたり、様々な薬効からお茶として利用されてきた長い歴史があります。痛みや痒みを起こす成分はトゲにだけしか有りません。トゲは乾燥させるか、熱湯にくぐらせれば完全に落ちてしまいますので安全です。今日は血液を元気にする作用にスポットを当てます。
まず造血。ネトルには赤血球中のヘモグロビン の産生する為に必要な栄養素、鉄分や鉄の吸収を高めるビタミンC、葉酸やクロロフィル、タンパク質、ビタミン Bを豊富に含みます。特に『緑の血液』とも呼ばれるクロロフィルは分子構造がヘモグロビンと瓜二つで、中心の核がマグネシウムと鉄の違いだけです。クロロフィルと鉄を一緒に摂ると、クロロフィルのマグネシウムがポロッと消化吸収されると、その空席に鉄がポコっとはまってヘモグロビンに変身!即、赤血球に元気注入!というわけで、ネトルは貧血女子必須の最強アイテムなのです。
次に浄血。クロロフィルが消化によってマグネシウムと分離した後の周りの構造物は、食物繊維の数千分の1という小さな難消化性成分です。これらが小腸大腸を通過する時、微細なゴミや有害物質を見逃さず吸着して血管には流レ出さないように阻止します。また、カリウムやクエルセチンなどのフラボノイドが利尿、排泄を助けます。というわけでネトルが血液をきれいに保つ「浄血ハーブの代表」と言われる理由、ガッテンして頂けたでしょうか。
さて、ここからちょっとネトルに絡んだ絵画のお話です。ジョン E.ミレイ(John E. Millais 1829~1896)の『オフィーリア』(1852)といえば。川に恍惚とした表情の女性が浮いている絵です。よく「ラファエル前派」の代表作と紹介されますが、この会派は19世紀半ばのイギリスで結成された新進気鋭の若いクリエーター集団で、神童と呼ばれたミレイもその主要メンバーの一人でした。彼らは古典偏重の古参からは批判も受けつつも、当代随一の美術批評家、ジョン・ラスキンの支援のお陰で、欧米の美術界に新たな潮流を生み出しました。
シェイクスピアの「ハムレット」に材を取ったこの作品には、数々の植物が緻密に描き込まれています。これは花にメッセージや象徴的な意味を託して仕込むシェイクスピアの趣向の再現です。ネトルもオフィーリアの「痛み」の象徴として柳の木の下に描かれています。見つかりますか?同様にラファエル前派や彼らに影響を受けた多くの画家、作家、詩人達がこの仕掛けを好んで使っています。
22歳のミレイ がエネルギーを注いで製作したこの作品は、当時の写真技術を超える精密さが評価されますが、それもそのはず。実際にロンドンの南を流れるホグスミル川で川岸の植物を写しとる為に5ヶ月も費やした後、ロンドンのアトリエで実際にバスタブにモデルを浮かべて、水中のオフィーリアの姿を描いたという念の入れよう。目を凝らすと銀のビーズ刺繍のドレスが見事です。これもミレイ自ら古着屋で見つけたった4ポンドで買ったアンティークだったそうな。とよく聞くエピソードですが ミレイがバスタブの火が消えたことに気づかなかった為に、冷たい水の中でポーズを取り続けたモデルは肺炎寸前で入院し、モデルの父親から慰謝料と医療費を請求された。の後日談。ミレイは値切った上に示談に持ち込んだのだとか。絵は売却済みだし、しかも資産家のおぼっちゃま君ったら…ちなみにケチなミレイ君は恩人ラスキンの妻ユーフィミア(通称エフィー)と不倫の末に結婚、八人の子供に恵まれます。この略奪婚は当時の社交界のゴシップネタでしたが、映画『エフィー・グレイ』(2014 イギリス)を観る限りは、二人が幸せになってめでたしめでたし。
お話戻って『オフィーリア』のモデルは、愛称リジー(Elizabeth Siddal 1829-62) 。奇しくもオフィーリアの生き様をなぞるような哀しい生涯を送りました。18歳のリジーはロンドンの繁華街にある婦人帽子店で働いていました。当時のお針子さん達は事務、雑用、広告塔として店前に立つこともあり、そんな時に画家のウォルター・デヴェレルに見出されスカウトされます。しかし19世紀の英国では絵画モデルといえば娼婦も同然、帽子屋の店主だって、いくら貧しいとはいえ親は大反対。そこでブルジョアの出のデヴェレル氏は信頼を得る為に自分の母親同伴で説得に成功しましたなぜここまでデヴェレルはリジーに拘ったのか?
リジーは背が高く細身、肌は抜けるように白く、髪は赤毛でした。それまで世間的に好まれていた女性像、血色が良く豊満なタイプとは全く違います。特に赤毛は古くから偏見や差別の対照にされてきました。赤毛は魔女狩りのターゲットにされ、赤毛のアンも『にんじん』 のフランソワも皇室離脱したヘンリー王子も教室でからかわれました。発端は中世の頃にキリスト教の布教活動に、文盲の庶民にもわかるように利用した絵画にあります。ゲルマン地域で広く信仰されていた土着信仰を邪教と貶める為に、北欧神話の神“トール”や“ロキ”を赤毛に描いたり、キリストを裏切ったユダを赤毛に描いたりして、「赤毛は悪者」のイメージを刷り込んだのです。ここで、先述の通り雷神のシンボルがネトルでしたね!
デヴェレルがリジーに拘ったのは、今までの美の基準に一石を投じたかったからではないでしょうか。リジーを画壇に引き入れて4年、彼は26歳で夭折してしましたが、彼の確かな審美眼は現代の世界のアートに脈々と繋がっています。
さて、デヴェレルの「十二夜」(シェークスピア 作品より)に男装姿でデビューしたリジーは、瞬く間に人気モデルとなり、同門の画家であり詩人で手の早いD.G.ロセッティ(1828- 1882)と婚約します。しかし彼はなかなか結婚に踏み切らず、ジェインという人気モデルにご執心の上、他の女性達とも関係を持つという最低男。ジェインがお金持ちと結婚してしまうと、長い婚約期間の末にやっとリジーと結婚します。ところが!彼は人妻となったジェインとW不倫関係になります。彼がジェインをモデルにした『プロセルピナ』(1874)を見るに目力の強い黒髪の女性です。生来病弱だったリジーは夫の不倫に悩み体調を崩しつつも、絵画や詩に才能を発揮しますがドラッグに依存し、心も体も壊していきます。遂に流産を機に過剰摂取で自死。結婚後たった2年、32歳の短い人生でした。ちなみにロセッテイが死ぬまでジェインとの不倫は続きましたが、ジェインが玉の輿に乗った相手とは、ロセッティの後輩だったウイリアム・モリス(1834-96)あの人気のモダンデザインの巨匠です。大正浪漫やアール・デコといったアートの世界 + 奇妙な人間関係にご興味のある方は、是非『評伝 ウィリアム・モリス』 (蛭川久康 著2016平凡社)をお勧めします。一読の価値あり!
彼らが生きた時代、パリ万博(1867)で日本の陶芸や浮世絵が紹介されると、欧米の芸術界にジャポニズムなる運動が巻き起こります。件の女好きロセッティは熱心な浮世絵の蒐集家だったそうな。女性の日常の姿を細長に誇張して描く(当時の日本人ではありえない8〜9頭身!)画風は、ラファエル前派にも影響を与えたと言われています。そして明治大正期の日本文学や美術が、今度はラファエル前派に大きな影響を受けるのです。これぞ逆輸入!それにしても病弱短命だったリジー、竹久夢二のかよわそうな少女達…どうもロマンの薫り漂う美女達は、ヘモグロビン不足の貧血女子に見えます。 ネトル茶を飲むように勧めたかった…
もともと絵画に造詣が深かった夏目漱石も、1900年に留学したロンドンで「ラファエル前派」の思想と絵画に大きく影響されます。ミレイの『オフィーリア』 に着想を得たという『草枕』(1906)をはじめ、『坊ちゃん』『三四郎』『門』『夢十夜』『永日小品』あちこちに西洋絵画のファンタジーが散りばめられています。感想文の宿題のせいで漱石先生への関心を失った方、もう一度チャレンジしてみてはいかがでしょう。