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バーバパパも西行さんも
暑くもなく寒くもない、心地よい季節になりました。梅雨が来るまでのこの季節、朝早く外に出て思いっきり深呼吸をしておきたいですね。今日は代謝に良し、デトックスに良し、整腸に良し、リラックスにも良し、のコージーを、植物ミルクでカフェインレスのチャイに仕上げましょう。お茶を待つ間、コージーにも入っているタンポポのお話にお付き合いください。
中国では蒙古タンポポや支那タンポポが漢方薬として使われてきました。古い伝説によると… 裕福な家で育った年頃の娘が、ある日乳房の腫れに気がつきましたが恥ずかしくて誰にも話せませんでした。やがて娘が激しい痛みに耐えていることに気がついた小間使いが、母親に娘の病気のことを告げます。すると母親は激怒し「結婚前の娘が乳房を病むとはふしだらな!」と娘を罵倒しました。娘は身の潔白を証明できず思い悩み、ついに川に身を投げます。ちょうど舟を出していた猟師の父娘が娘を助け、濡れた衣服を着替えさせる時に病に気付来ます。猟師は山で薬草を採って来て煎じて飲ませまると、娘の病は日に日に良くなっていきました。ようやく両親が居所を見つけて迎えに来ます。一緒に家に帰る娘に猟師は残りの薬草を持たせてやりました。家に戻った娘は薬草を庭に植えて蒲公英と名付けました。「蒲」は助けてくれた猟師の名字「公英」は猟師の娘の名前だったそうな。めでたしめでたし。
原名は「蒲公草」で、659年の唐で編纂された「新修本草」という薬草辞典に乳腺炎や化膿性疾患に有効、と最古の表記があります。この辞典は8世紀に遣唐使によって日本に持ち帰られ、奈良〜平安時代の医薬生の教科書として用いられました。当時の写本は京都の仁和寺に収蔵される「仁和寺本」の一つとして、現在は国宝に指定されています。
日本でも健胃・利尿・催乳・解熱、消炎・胆汁促進、肝機能の改善などに処方される生薬とされてきましたが、生薬名は蒲公英。かつては香川県や徳島県で採集された関西タンポポが使われていましたが、近年は生育量が増えた外来種の西洋タンポポも薬用に利用されているそうです。
また平安初期に編まれた日本最古の植物辞典「本草和名」(918年頃 深江輔仁著)では「蒲公草」という名前で和名はフヂナ・タナと記されています。江戸時代には飢饉の際の食糧として栽培が奨励されていたり、また春先に野菜の少ない寒い地方では花は三杯酢、葉、茎は茹で菜、和え物、てんぷらに、茎や根はきんぴらなどに調理されていました。
現在「蒲公英」とかいて「タンポポ」と読みますが、これは江戸期に“医食同源、食が命を養う” を基本に健康維持と食餌療法に使える植物を集めた『『閲甫食物本草(えつほしょくもつほんぞう)』(1671名古屋玄医著) で、タンポポという振り仮名が添えられたのが初めてです。確かに全草にビタミンA・C・K、鉄分、カルシウム、カリウム、カロテノイドなどを豊富に含んでいます。
⚠ただし土壌の成分をふんだんに吸収するので栄養価が高い反面、汚染された土地なら汚染物も吸収しています。野性のタンポポを気軽に食べることはリスクがありますので、安全に栽培されたものをお勧めします。また花部はアレルギーを起こすリスクがあるので生食には注意が必要です。
同じ頃、日本最古の農業指導の実用書『農業全書』(宮崎安貞 1697) や、野菜の栽培法を書いた『菜譜』(貝原益軒 1704)に登場していることからも、今は厄介者の雑草を、わざわざ種から栽培していたことがわかります。
ちなみにフランス料理でピサンリ(pissenlit利尿効果からおねしょの意)と呼ばれるタンポポの他に、遮光で白く育てたバルバパパ(Barbe a Papaパパの髭の意。フランスの絵本「おばけのバーバパパ」も、フランス語の綿菓子も同じ語)という品種があります。軟らかい若葉のサラダは春の到来を告げる一品として有名だそうで、日本にもメニューに載せているレストランがあるようです。
様々な文化が花開いた天下泰平な江戸時代「ハマると身代が傾く三大道楽」と言われたのが「骨董」「釣り」に並び「園芸」です。新種を作り出して一発大儲けを狙う庶民、それらを高額な値段で売り買いする豪商や殿様がいました。朝顔、桜草、菊、椿、蓮と同様、タンポポの品種改良も盛んに行なわれたようです。熱が高まり、赤、黒、青色の花が咲く種や、筒咲・満月・折鶴・紅筆・吹き詰といった粋な名前の品種が作り出され、天保12年(1841)には多種多様な園芸品種を載せた『蒲公英銘鑑』が出版されるほど大ブームとなっていました。
その頃は切り花としても愛でられており、当時の生け花『掖入(なげいれ)』や『立花(りっか)』の実用本に出ていますが、水揚げの悪さは否めなかったようです。戦前までは 200種もの園芸種が継承されていたそうですが、今は途絶えてしまいました。ただ近年、岡山県の総社市内や倉敷市内の関西タンポポの群生地で「筒咲」に似た珍しい品種が確認されたそうです。逞しく生き残った子孫なのか…あなたもどこかで幻の品種を見つけられるかもしれません。
余談ですが、この当時の日本文化の高さを称賛していたイギリスの植物学者がいます。1860年、幕末の日本に初来日したロバート フォーチュンは、日本人の花を愛する国民性を高く評価したのです。荘厳な庭に凝る殿様から長屋の軒下に所狭しと鉢花を並べている庶民まで園芸を楽しんでいることや、鎖国を続けてきた島国でサボテンやアロエ、はたまたイギリス産の苺が売られている光景に驚き、江戸の植木市で珍しい園芸植物を買い求め、さらに各地で庶民の暮らしを体験したことから、リアルに体験した幕末の様々な事件などを自著「Yedo and Peking」(1863ロンドン)に細かく綴りました。翻訳本『幕末日本探訪記―江戸と北京』(ロバートフォーチュン著 三宅馨訳2007講談社学術文庫)で読むことができます。
このフォーチュン氏、実は唯の植物ハンターではありませんでした。彼こそ優雅な紅茶文化と貿易や経済、植民地政策にまつわる黒歴史の中心人物でした。お茶好き、植物好きには興味深い一冊、『紅茶スパイ 英国人プラントハンター中国を行く』(サラ ローズ 著、築地誠子 翻訳 2011 原書房)とてもおすすめです。そうそうもう一人、彼よりちょっと早く来日した、やはり東インド会社絡みの植物オタク、否、有名なドイツ人医師がいましたね。この方のお話は、次回にでもいたしましょう。
タンポポという可愛い大和言葉がいつ発生したかは不明ですが、文字として残されているのは室町時代の国語辞典「節用集(せつようしゅう」(1474年頃)が初めてです。語源については諸説あり、①古語の「田菜」+冠毛の「穂穂」が訛った説、②冠毛の乗った穂の様子がたんぽ(槍の稽古の時に刃を丸く包んで保護した綿球や、拓本を採るときに墨をつけて叩く道具)に似ている説、③別名の鼓草から鼓を表す幼児語タンポンポンから説などなど。きっとどれも正解。タンポポ が身近な植物として親しまれていたことがわかります。
前出の別名「鼓草」もいつから使われていた語なのかは定かでないのですが、江戸時代以前の記述は見当たりません。蕾の形が鼓に見えるとか、蒲公英の茎を千切って両端を裂くとクルクルっと巻き上がって鼓の形になるとか、茎の両端に花を差し込んで鼓に似せたとか言われておりますが、江戸期は子供たちの遊びの発想も豊かだったようです。
タンポポと呼ぶよりも「鼓草」のほうが高尚で文学的に聞こえるのか、また五音で使いやすいからか、和歌や俳句でも春の季語として好まれてきました。筆者としては鼓草というと講談や古典落語の演目「西行鼓ケ滝」を思い浮かべます。西行さんが詠んだという和歌を題材にした噺です。季語としては既に季節外れですが気象庁の定義ではまだ5月は春。今のうちにぜひYouTubeで楽しんでみてはいかがでしょう。お後がよろしいようで。